うつ病は長く付き合わなければいけない病気で、そのことに疲れてしまうかもしれません。
しかし、症状は必ず改善されます。
薬を飲みながらでも、日常生活を無難に送れるように自分をコントロールすることができるようになります。
必ず「普通の日々」は戻ってきます。
とにかく生きてください。
死の誘惑に負けないでください。
あなたの笑顔が戻る日はきっと来ます。
会社は一つではありません。
退職したのと別の会社で生き生きと働く日々は来ます。
鬱病はマイナスかもしれませんが、プラスになる必要はなくて±(プラマイ)、で十分だと思ってます。
私もまたいつ再発してもおかしくないですが、そういうものだと割り切って生きていこうと思います。
鬱病で仕事を辞めたとしても、自分を責める必要はありません。
鬱病は現代では珍しいものではありませんし、誰にでもかかりうる病気だからです。
また、鬱病での通院を恥ずかしいと感じる人もいるかもしれませんね。
でも、通院を恥じる必要はないのです。
あなたは世間体を考えるでしょう。
「こんな自分じゃダメだ」
そんな風に考える必要はなく、今はただゆっくり休むことだけを考えましょう。
体調が戻ってくれば、自然と再就職に向けて動き出せますから安心してください。
今回は、鬱病が原因で退職した10人の体験談を紹介します。
苦しい状態にいるのはあなただけではありません。
ホッと安心してゆっくりと精神を癒してください。
転職に成功する方法
【親身なサポートを受けたい】
【優良企業に転職したい】
【大手企業の求人が見たい】
【今すぐ会社を辞めたい】
目次
まずは「傷病手当金」などのお金関係の手続きをしよう
傷病手当金等、お金が頂ける手続き関係はなんとかぬかりなく済ませてください。
お金がないとただでさえ不安定な心に更に余計な負担がかかります。
私自身も面倒くさがりな上に、家から出るのも病気で不安だったため、苦しかったですが、その手続きを済ませないともっと辛いことが起こります。
これだけは絶対にやってください。
親や国、頼れるものがあるなら何でも頼りましょう。
あとで恩返しすればいいと思います。
私も社会復帰できてから、両親には少しずつお金を返していました。
辛いときに無理しない。
忘れないでください。
いつか必ず前のように働けるようになります。
うつ病になったとしても自分を「ダメだ」と思わないこと
よく言われる事で「うつ病になる人は真面目、がんばり屋」というのは正しいと思います。
「うつ病になるなんて自分はダメな奴だ」と考えがちですが、そんな事はありません。
風邪を引いて恥ずかしいと感じる人はあまり居ないと思いますが、うつ病も同じだと思います。
誰しもかかる可能性がある病気なので気にする必要は無いと思います。
うつ病になるという事は自分の考え方や周囲の環境に問題があったからこそだと思います。
一度自分がなぜ罹患したのか、環境以外の原因を振り返るのが良いと思います。
真面目過ぎる、頑張り過ぎる等、自分の性格に起因していた場合は「考え方を改める機会が来た?
」と考えるのが良さそうです。
うつ病になって苦しいなら「頼れる人」を一人見つけよう
鬱病を発症して混乱しているのは自分だと思います。
このままどうなるのか、この先のことはまだ全然考えらる状況ではないかもしれません。
そして次によぎるのがお金のことだと思います。
お金に関しては失業手当含め、色々な制度があります。
ただ現状を少しでも良くするために、頼れる人を一人見つけてください。
親でも兄弟でも友人でも構いません。
話を聞いてくれる人を見つけてください。
社会復帰で、焦ったところで、気持ちのモヤモヤ・自信がない自分は変わりません。
焦らず、頼れるところに思いっきり頼る。
頼るところは、家族・友人・交際相手だけじゃありません。
心療内科の医師・カウンセラーの方でもいいんです。
自力じゃなくていいんです。
思いっきり人を頼ることが一番です。
話すのが辛ければノートに書き綴ってみるのもいいかもしれません。
私は日記代わりにスケジュール帳に一言だけ書いていました。
そうすることで自分の気持ちに整理がつくし、体調がいい日やダメになる日の傾向もわかると思います。
何より、自分の精神のコントロールをこの先身に着ける必要があるし、客観的になることで症状を割り切れるようになるかもしれません。
うつ病で苦しいなら理解者を作ること
理解者を作ることだと思います。
家族、恋人もよいでしょう。
また精神科、心療内科に嫌なイメージを持っている方も少なからずいらっしゃるかと思いますが、行ってみると全然嫌な場所じゃありません。
私は何軒か渡り歩きましたが、どこの病院も他の患者となるべく接触しないように配慮がされていたり、受付の方や先生も穏やかな方が多いです。
まずは誰かに話を聞いてもらいましょう。
恥ずかしい事なんてない、バカにされたりしません。
次がない、経歴に傷がついたと思い悩むこともあるでしょう。
でも大丈夫です!
私は転職を何度も繰り返してますが、なんとかなっていますから。
そんなことより一回休みましょう。
休むと頭もクリアになって、次やるべきことがみえてきますから。
分かってくれる人に話を聞いてもらって下さい。
鬱になるまでにかかった何月と同じだけ治るのに時間を必要とします。
私は2年かけて鬱になったので、復活するのにも同じ2年かかりました。
それでも、あの時に私に手を差し伸べてくれなかった同僚とは友達の縁を切りました。
向こうからは連絡をとってくるのですが、今更ココロはひらけません。
今、苦しんでいるのならその苦しみを和らげてくれた人とだけ関わっていて構わないとおもいます。
社会復帰が前のようにいかなくても、大丈夫です。
あなたは弱い訳ではありません。
時間をかけてゆっくりゆっくり笑える日を取り戻して下さい。
自分だけと考えずに、他にも同じような立場の人もたくさん居る事を考えてみてください。
きっと報われるときは来ます。
諦めずに本気で一生懸命、励んでみてください。
自分から向き合わなければ、絶対に改善しまし、同じ境遇の人たちも頑張っている事を頭の片隅に置いてください。
鬱病が原因で会社を退職した10人の体験談
ここでは、うつ病で会社を辞めた人の体験談を紹介していきます。
同じような境遇の体験談を今後の参考にしてみてください。
1.Sさん(25歳男性)
私は不動産仲介の営業をしていました。
当時、私は社会人2年目で1年目にそこそこの結果が出ていて、少し背伸びしているような(自分の実力以上の)案件を手がけることもありました。
そんな案件の中でミスが重なり、お客様や上司から仕事ぶりへの指摘を受ける回数も増えました。
そんな日々が続いたある日、電車に乗っていると、不意に不安感や吐き気が襲ってくるようになりました。
何日もまともに出社できない日々が続いて、病院に行ったところ、不安障害の診断を受けました。
私が鬱病になってしまった原因は、心の負担のキャパシティを超えた、と言ったようなことを言われた気がします。
その時のことはショックすぎてあまり覚えていません。
仕事でミスを重ねてしまったことを、自分自身が受け止めきれなかったんだなと今では思います。
その後は東京へ地元を離れて仕事をしておりましたが、東京での一人暮らしが収入も無くなるため困難だったので、両親に迎えにきてもらい、実家に帰りました。
しばらくは両親に甘えて、引きこもっていました。
電車やバス等の交通機関も体調が心配で乗れないため、引きこもるしか無かったです。
うつ病になって1番辛かったことは、理想と現実のギャップです。
本当に、「こんなはずでは」という思いが強かったです。
営業マンとしてばりばり働いていく予定でしたので。
営業マンとして駆け回っているはずの時間に家で腐っている現実を受け止めるのが何よりも辛かったです。
1番支えになったのは、両親の存在です。
なにも言わず、見守っていてくれました。
感謝してもしきれません。
私にとっては、なにも言わずに見守ってくれるのが何よりもありがたいことでした。
結局最後は自分の足で一歩踏み出さなくてはいけないので、それができるようになるまで見守ってくれた両親の存在が一番の心の支えです。
私の経験からですが、焦らないことが一番大事だと思います。
甘えられるものがあればなんでも甘えて良いと思います。
2.Tさん(32歳男性)
私が鬱病になってしまった原因…一番の原因は気疲れです。
神経質などの性格が大きいと思います。
余りに神経質になってしまったために気を張り過ぎる癖がついてしまいます。
鬱になる元は性格があると思います。
几帳面で何か考えているわけでは無いのに気づかれしてしまいます。
そうなると体ではなく気持ちが減ります。
何もしていないのに自暴自棄になってしまい、どうしようもなくなると周りを見る余裕も自分の制御もできなくなります。
これは何回、繰り返しても慣れたり修正をうまく出来るようになったりは、私の場合はありません、一度、鬱を発症すると鬱や精神的な苦痛は和らぐことはありません、一生この苦しみと共に地獄を生きなければなりませんし、私は今も、ずっと精神障害で苦しみ続けています。
ほとんど私の場合は精神的、苦痛から幻聴と言う症状に悪化してしまいます。
本当に苦しみ続けて、21年間、人生の半分以上は薬を飲んでいる人生です。
一番は母親の存在が支えになってくれました。
母親は仕事を退職してまでも私に付き添ってくれました。
父親はあまり口数は少ない人なのですが、よく私のことを考えてくれているのがわかります。
兄弟にもこの鬱病のせいでたくさん迷惑をかけてしまいます。
私のがいなければと何回も何十回も死にたくなることは、いっぱい考えてしまいます。
私の支えは家族です。
本当に考えてみたら、ありがとう、私などとは今は考えないようになります。
それでも苦しい時は絶対に人生を諦めてはいけないと思うようになったのは家族のおかげです。
私の場合はメンタルを鍛えようと主治医のい先生の勧めで精神障害のメンタルデイケアに通う、日々を繰り返し、継続してはいけませんでしたが10年間、通いました。
そこでは私に欠けていた、集団行動の基礎と考え方を変える事を学びました。
3.Kさん(27歳女性)
私はごく普通のOLでした。
中小企業の総合事務に配属され、その時よくありがちな御局様と言われる方が一名。
入社時は、目の敵にされることも無く、程よい距離感で就業に支障はありませんでした。
しかし、ある日の就業中に共同で作業を任され、何気ない話から従業一名の悪口が始まり、適当に流していましたが、
その適当に相槌を打ったことが気に食わない、なんで私の意見に共感してくれないいんだ、もしや悪口を言っているやつの味方か?という理由で標的に。
他の社員さんもその御局様が怖いのか・・・。
反論することもなく、いじめに加担するようになり、最初は自分は自分と言い聞かせてましたが段々と体調にも支障が出てきてしまいました。
自分の生活もある為、すぐに退職することも出来ず鬱状態になりながら半年は耐えました。
やめた途端、気持ちは楽になったものの、体調がすぐ良くなるわけもなく、
心療内科に通い、カウンセリング・お薬で、主治医の言葉に従い治療を続けました。
鬱になり、心療内科に通い治療を続けて行く中で、ゴールを見つけるのが大変でした。
何を持って完治なのか?
しかし、年齢も年齢だった為、周りからの視線・周りから取り残された感・治療費の心配・親に対しての罪悪感。
全てに対して自信がなくなってしまい、自分の意見を発信するまでに時間がかかりました。
しかし、そこで幸いにも同棲しているパートナーの言葉に助けられました。
自分のペースでいい。
ゴールはどこかわからないかもしれないけど、必ず自分の行きたい方向が決まるから。
焦らなくていい。と、この言葉に助けられました。
鬱からどう立ち直すかは人それぞれの方法があり、一概には言えません。
しかし、社会復帰を目指すのであれば、
『焦らないこと』
これが一番だと私は思います。
4.Aさん(23歳女性)
もともと厳しい両親のもとに育ち、両親は「コントロールの強い親」でした。
小さい頃から、こうであるべき、こういう奴はバカだ、学年で10番以内に入らないとうちの子じゃない、という言葉を聞き続けた結果、自分を表現できない人間のまま大人になってしまいました。
そんな両親から離れたくて新卒で入社したのは百貨店でのアパレル販売。
暇な時はお客さんはフロアに0の状態。
女性同士お喋りに花が咲くわけですが、話に入れず。
接客が始まっても先輩のお客さんとの話を邪魔してはいけないという心理が働く。
そんな日々が続き、馴染めないな、と焦る毎日でした。
先輩達から見れば、つまらない奴、だったのでしょう。
ミスは全ていつの間にか自分のせいにされている、仕事は教えてもらえない、仕舞いには貧乏くさい、と罵られるようになり、職場で過呼吸を起こす事態に。
そのまま辞めますと伝え、私のはじめての仕事は1年で終わりを迎えました。
両親が厳しく、その両親から離れるために他県で就職したにも関わらず、辞めるとなると「実家に帰りなさい」と言われるのは目に見えていたので、お薬を片手に退職して必死で次の仕事を探しました。
圧迫面接で過呼吸を起こしてしまうこともありましたが、なんとか次の職場を見つけることができました。
アパレル系はやはり女性社会で、コミュニケーション能力の乏しい私には難しいと考え、派遣会社の営業事務へ就職しましたが、しかしやはり長くはもたず、「またひどいことを言われたら、過呼吸になったら‥」と考えると職場にいられなくなり3ヶ月で退社しました。
今考えると営業事務こそ、コミュニケーション能力が重要で、傷を負った状態で勤められる職種ではなかったと思います。
結局はその後実家へ戻る羽目になりました。
私の場合特殊かもしれませんが、両親を頼らなければならなかったことがいちばん辛かったです。
やっとの思いで離れてようやく自立した生活を送ることができると思っていたのに、社会でも必要とされない、けど実家には頼りたくない、もう「死」という選択肢しかありませんでした。
頼るという選択肢はなかったのですが、やはり母親とはすごいもので、ちょっとした変化に気づき、「休んでいい」と言ってくれました。
苦しめられたのも、救われたのもどちらも家族でした。
5.Hさん(38歳男性)
職場の人間関係は良かったのですが、わがままな顧客が多かったです。
親切丁寧に付き合っていると調子に乗って際限なく要求してくる人が多く人間不信になり「こんな奴らと付き合いたくない、頭に来る、気に入らない」等の感情に日々悩まされました。
もっと手を抜いて親身にならず、相手を人間だと思わずドライに対応すればよかった様に思います。
まずはハローワークで失業保険の手続きをしました。
少しのタイムラグがあるものの他に困難な点は無く経済的に非常に助かりました。
心療内科に通い定期的に薬をだしてもらいました。
大抵の日は家に居るのでが、何をしても楽しくないので娯楽は楽しめず、味覚が鈍るので食事は楽しめず義務的に食べるだけでした。
ボンヤリしていると憎しみ、悲しみ、自殺願望等の感情が次々と沸き起こってきて悩まされます。
精神的に何の光明も見えず苦しい状態なのですが私はAmazonで中古の仏教の本を買いあさりました。
価格も安いので無職の財布にも優しいです。
自分が好きだった事、楽しかった事、趣味等が「何が面白かったのだろう?」と考える程度に全くおもしろく感じなくなります。
自分の好きな物が面白く感じなくなる事は、楽しみが減る以外にまるで自分が自分で無くなったような感じで恐怖や虚しさを感じます。
まず、うつ病で落ち込んでいて暗い気持ちになることは永続的でなく主観的な事柄だと理解する事だと思います。
「暗い気持ちであり先々に希望が見えない」のは自分がそう思っているだけで事実では無いと理解する事が必要だと思います。
要するにひどい状態、悪い状態等というのは、それ自体が悪いわけではなく自分が悪いと思って判断しているだけに過ぎないという事です。
日々の生活の中で、うつ病だと出来て当たり前の事が気力が起きずに出来なくなってしまいますが、頑張り過ぎずハードルを低くして達成していく事が大事だと思います。
例えば部屋の掃除をしなければならないが、それは難しいのでゴミを一つ捨てる、といった内容になります。
些細な事でも「出来たぞ。自分もなかなかヤルもんじゃないか」といった達成感を自分に与えて「自分は出来る」と錯覚させていくのは大事だと思います。
6.Hさん(25歳女性)
就職して1年近く経ったころ、それまでも苦手意識を持っていた上司Aと、別の上司Bの間で板挟みになったことが原因でした。
Bに指示された通りに仕事をすると、Aからやり方が違うと言われ、Bの指示だと言えばBが間違っているのだからあなたが気づかないといけないと言われ、どうしてもその旨(仕事をやり直すこと)をBに伝えるとAがおかしいと怒り…。
そんなことを毎日繰り返すうちに、気づけば鬱状態になってしまいました。
退職後もしばらく通院を続けました。
しばらくは、自分を責め、自殺を考える毎日でした。
しかし、原因が仕事であったため、次第に心穏やかに過ごせる日が増えていきました。
(薬の効果もあったでしょう当時新婚で、ふつうであれば幸せの絶頂にいるはずが、毎日死にたいと考えてしまうことが夫に申し訳なく、とてもつらかったです。
また、仕事を頑張りたい気持ちはあるのに、なにをどうしたらよいかわからない、全く頭の働かない状態になってしまい、さらにミスも増える悪循環であったこともつらかったです。
支えといってよいかわかりませんが、夫に心配をかけてはいけないと、自傷行為は踏みとどまれていました。
とにかく原因となる場所から離れることが大切だと思います。
鬱病は、気の持ちようでどうにかなるものではありません。
しっかりと服薬をして、心を一度落ち着かせる時間が必要だと思います。
7.Nさん(35歳女性)
新しく着任した店長と合わず、私以外の人も「嫌い」などと言っているのに、直接何も言わずに影で文句ばかり言っていた。
直接疑問点を投げかけていた私は店長と距離が出来てしまったが、同僚も同じ気持ちでいてくれるなら良いかな、と思っていたら「1人で頑張って。
こっちに火の粉を飛ばさないで」と言われ周りにも不信感が募ってきていました。
会社に行きたくなくなり、嘘ではなく次の日会社だと思うと目眩がして起き上がらなくなって休みがちになりました。
しかし、店長は「前の日に体調悪くなるのわからないのか」と相変わらずのココロのない対応なので、もうその休む連絡をするのさえイヤになってきていました。
同僚は「みんな、貴方と同じ気持ちだけど店長は、何言っても変わらない」と言って諦めムードでした。
「痛々しい」と言われ出して、「でも、やっぱり店長が悪いよ。」と相談しに行った日に「どっちもどっちかな」と言われて心が折れました。
家から出れず、人とも会いたくなくなってご飯を食べるのも面倒くさくなって、眠気ばかり起きていた。
LINEも電話も使わなくなり、時折悩む事自体がイヤになり「消えたい」とよく思うようになった。
経験者やお医者さんしかわかってもらえず、「本当の私は強くない」というフレーズの歌を繰り返し聞いていた。
人と食事をする事すら辛くなっていた私は体重が10キロ減ってしまいました。
主人に分かってもらえず、「誰だってなんかある」といわれてしまい、病院に行ってもらってくる薬を飲むのさえ、イヤな顔をされていました。
当時の私は睡眠導入剤がないと、寝れなくなっていました。
店長とうまくいかなくなった頃に丁度、主人の実家のある県に引っ越す話があり、誰とも会いたくなかった私には好都合でした。
引っ越して1人も友達がいない場所で、ウツという事を「心が弱いからなる」という主人しか頼れる人がいなくて、パンが好きだった私は知らない土地で大好きなパンをお昼に1人で食べることだけが心の支えでした。
やれる事から少しずつやっていく事です。
無理に人にあったり、食事したりしない事です。
分かってもらえる人に自分のタイミングで話を聞いてもらうのがとても大切です。
ハローワークの学校に通ったりして、人と同じ場所に居れる時間を少しずつ長く出来る様にしていけてから、活動始めて下さい。
8.Yさん(37歳女性)
仕事が不平等に割り振られ、負担を他の人の二倍押し付けられ、それが当たり前という扱いを受けていたからです。
そのうえ、両親の介護が重なりました。
一人は認知症で、もう一人は寝たきりでした。
ダブル介護で心身共に疲弊しました。
相談できる人が会社内におらず、心身の不調を感じても隠さないとクビになると怯えていました。
そうした負担感の積み重ねで不眠に悩まされるようになり、食欲が衰えました。
そうした症状が1ヶ月くらい続いた頃から過換気症候群の発作が頻回起こるようになりました。
「死にたい」と思うようになりました。
うつ病で会社を退職した後、仕事のない生活になりました。
退職した当初は、法律の勉強をしました。
法律の資格をとって、事務所を開くのが夢でした。
大学時代に法律を学んだわけではないので、まずは法学検定の4級と3級を受験し、退職した年に3級まで取得しました。
その後、2級の勉強をしましたが、2級には合格しませんでした。
2級があれば、当時盛んだった法科大学院に進学するつもりでしたが、2回目に受験しても2級に合格できないまま、他の法律関係の試験にも落ちてしまいました。
それで、法律には向いていないのだと悟り、ウェブライターとして働き始めました。
ウェブライターとして4年働いた頃にネット環境が変わって仕事が激減し、スーパーに勤めるようになりました。
パートです。
うつ病になって、体調が変化して睡眠障害に悩まされ、食欲も衰えました。
何より辛かったのは自尊感情が低くなり、「自分には価値が無いから死のう」という思いが絶えず去来したことです。
実際にビルの屋上に上って、「ここから飛び降りたら楽になるかな?痛いだろうな?痛いと感じた時には死んでるのかな?」と取り止めもなく思うことが何回もありました。
そんな時に一番心の支えとなったのは家族でした。
姉が愚痴を聞いてくれて、自殺を思いとどまったものです。
うつ病のサインは今では広く知られています。
職場でもメンタルヘルスの啓蒙活動を行なっているところが増えています。
大切なのは、うつ病のサインが現れて自分でも「ちょっと変?」と感じたら、ためらわずにメンタルクリニックを受診することです。
自覚に至るまでに、経験から言うと半月は経っています。
うつ病のサインが現れて半月続いたら、受診が必要な時期です。
うつ病はぶり返す病気です。
早めに専門の医師によるカウンセリングと薬の処方を受けることが必要です。
受診をためらって、医療の介入が遅れると、症状が長引き悪化します。
9.Yさん(38歳男性)
きっかけは前職の職場の人間関係で睡眠障害を発症したことでした。
高圧的な上司の指示のもと、業務をこなしていたのですが
いつしかON/OFFが付けられなくなり、このままではまずいということで心療内科を受診し始めました。
その後、職場環境も変わりそうになかったので、見切りをつけ、人間関係が希薄な派遣社員に転職しました。
しかし、もともと向いている仕事だったので同期達よりも呑み込みが早く、色々な作業を任せられました。
その内自分の中で限界が来て、作業量を減らしてもらったり、派遣元の担当さんに間に入ってもらって調整もしていたのですが、結局休みがちになってしまい、その負い目から出勤した時には人一倍根をつめて働き、そして無理をして休んでしまうという負のサイクルが出来上がってしまいました。
最終的に通っていた心療内科の先生からドクターストップがかかり、鬱病と診断されました。
鬱病と診断された当時は一人暮らしをしていたのですが職場が近いこともあり、職場の人に合わないようにするため、ほとんど家から出ていませんでした。
何とか退職の手続きをして、診断書をもって失業手当の手続きを行い、それ以外はほとんど部屋から出ませんでした。
生活は昼夜逆転、外に出ると罪悪感が湧くのでひたすらネットをしたりして気を紛らわせていました。
その後、このままではお金もなくなるし、会社の人の目が怖くて外に出られないこの街にいても悪い方向にしか向かないと思い、親に相談し、実家へ戻ることにしました。
一番辛かったのは、誰にも相談できないことです。
自分が鬱病だという事をはっきり伝えている人はほとんどいません。
両親も「精神状態にムラがある」程度の認識だと思います。
自分自身どう伝えたらいいかがよくわからず、ただ逆にどんな状況でもありのまま話を聞いてくれる友人がいます。
自分が辛くて明日の事すら考えられない時に、何気ない日常の話をしてくれたのはとても救われました。
私自身最初は時短で、補助的な役割で社会復帰をしました。
まずは無理をしない事です。
出来れば直属の上司や、人事に現在の自分の状態を伝えておき、何か不安があればすぐに相談できるようにしておきます。
そして常に100%を目指さないことです。
常に100%でいると周りからは「これがこの人の通常なんだな」と判断されます。
40~60%くらいで動き、あとはその日の体調に合わせて活動量を調整します。
どうしても体調がすぐれない時は無理をせずに休み、最悪、「この仕事はまだ難しかった」と割り切ることも必要だと思います。
10.Oさん(45歳男性)
リーダー的なポジションで、イケイケで物事を進めていました。
仕事量はオーバーワーク気味でしたが、頼られたり自分の能力でどんどん仕事が進む事へのやりがいや満足感もあって、さほど苦には感じませんでした。
そんな中、難題や、やりたくない仕事がどんどん溜まっていき、やりたくない気持ちが徐々に膨れ上がっていきました。
その結果、会社を休みがちになり、ついには会社へ行かなくなりました。
会社から連続で休む場合は何かしらの診断書等の提出が必要と言われ、精神科に行った所、鬱病と診断されました。
会社を退職した時は鬱ではなかったので、次の職探しへの意欲はそれなりにあったと思いますが、失業保険があるうちはゆっくりしようと思って必死になって就職活動をしたという感じではありませんでした。
しかし、就職活動自体がもともと得意ではなかったためか、引きこもりがちになって、インターネットゲームを寝る間を惜しんで毎日プレイし続けていました。
・鬱病になって一番辛かったこと
自分が世の中にとって不要な存在で、色んな人に迷惑をかけて、お金を稼いでないのに消費して、自分の理想である人生キャリアが台無しになって、ハレモノに触るような周りの対応に、自尊心が無くなっていく感じが辛かったです。
・一番こころの支えになったこと
正直わかりません。
結婚を控えていた彼女?食事等生活の面倒を見てもらっていた母親?
今となってはハッキリこれでしたと言えるものが何かは判りませんが、何とか今の状況から脱出しなきゃ、でも焦ってはダメだと焦燥感を抑えながら唯々食って寝てを繰り返して生きていました。
焦らない事が大切です。
とても難しい事です。
自論ですが、人間の能力なんてそんなに個々で差は無く、種類が違うだけで、それなりの仕事は誰でもできると思います。
サイズが合わなかったり、背伸びし過ぎたり、何か問題があったから鬱になったのだと思います。
A型就労やB型就労という公共の福祉サービスを利用して、体を動かし、少しのお金を貰うのもお勧めです。
私は現在、鬱病ではなく、双極性障害という診断をうけ、就労継続支援B型に通い始めました。
年収600万円級の再就職を探していましたが上手く行かず、引きこもりになっていましたので、現状から何とか脱出したいと思って精神科に受診してみた所、双極性障害と診断され、就職やアルバイトを主治医からお勧めしないと言われ、家に居てもやる事が無く辛いと相談したところ、B型就労を勧められ、今に至ります。
とりあえず、今の所生きてます。
元々将来の事なんて、誰にも判りません。
長い人生と言いながらいつの間にか40歳半ばです。
就職面接で面接官に『行き当たりばったりで、また何かちょっとダメだったら辞めてしまうんじゃないですか?』と言われましたが、何とも言えませんでした。
行き当たりばったり。ダメですか?
今まで計画建てても計画通りに全然行かなかったので、これからも『行き当たりばったり』で生きていこうと思います。
できるだけ快適な人生、高収入が心地よい場所とも限らない。
ぼちぼちいきましょう。というよりぼちぼち行った方が、またつまづきますよ。
私は、もともとガンバルと言う言葉は好きではないです。
だって自分の人生ですもの。
言われなくてもあなたも私も頑張ってます。
ですから、ぼちぼちいきましょう。
上を向いてばかり歩かなくても、たまには下を向いて歩いてもいいじゃないですか。
アマガエルがぴょんぴょん可愛く足元を飛び跳ねてますよ。
私とあなたの人生に1つでも多くの笑顔が浮かびますように。
うつ病で退職しても自分を責めてはいけない!
退職後もきっとしばらくは、自分自身を責めたり、昔できたことができなかったり、さまざまな苦しい症状があるかと思います。
けれど、原因が仕事であれば、そこから離れることができたなら、いつか元どおりになります。
次の仕事を考えることもつらいでしょうが、時が経てば、こんなことならできるかな、と僅かでも気力が湧いてくる時が来ます。
あなたが今苦しいのはあなたのせいではありません。
病気のせいです。
どうか今は心の回復に専念してください。
もし体調が良くなってくれば、転職エージェントに登録して再就職の準備を始めることをおすすめします。
再就職ではブラック企業に入社しないように、転職のプロに相談しましょう。
利用は無料です。
詳しくは下記の記事を参考にしてみてください。